郷土史研究会設立趣意書
昭和三十六年大和国飛島の藤原宮跡から一枚の木簡が発掘されました。それには「大黄十五斤高井郡」の墨書銘がはっきり読みとれました。この木簡は直接資料としては信農国関係の最占のものの一つと言うことができましよう。このたった一枚の板きれは私ども郷上の歴史の始まりについて実に様々なことを物語ってくれます。
それからすでに一千二百年の歳月が流れました。このながい歴史の流転の中で、私どもの祖先や先輩が、この郷土に生きて、この郷土を愛し、この郷上の文化を拓いてきた苦闘の痕は今日もなお郷土のいたる所に遺っています。
知る事は愛する事です。これら先人の生活の痕を究め、郷上の過去を知る事によって、私どもは郷上を愛し、郷土の発展に資する事ができると考えて、郷土史研究会の設立を計画致しました。
私どもの地域に関する郷上史研究の足跡を追ってみますと、ます明治十一年から始まった全県画一的な調査の結果が「長野県町村誌」に載っています。大正三年には「上高井郡誌」が、翌大正四年には「上高井歴史」が発されました。その後中断して昭和十年には郡下町村の主要な文献資料の調査が行われました。
こうした蓄積の上に立って戦後の三十年代半ばに「上高井誌」が完成しました。これらは殆んど教育会の活動によったものですが、この外に戦後町村合併の記念事業として町村史がこの地域でも続刊されました。「井上村史」「高甫村史」「豊丘村史」最近の「仁礼誌」などはこの時期の記念です。
これらの過去の業蹟の多くは教育会関係の事業として計画され完成されました。それはそれとして大きな歴史的意義があったわけですが、一旦事業が完結すると、次にはこれを発展させ継続させ深化させてゆく機会がありませんでした。
いわば過去の活動は上からの「点と線」の研究であったとも言えましよう。歴史にたいする関心の成熟した今日、私どもはこれを一般郷土人の間にまでひきおろして、いわば「面」の運動にまでひろげて参りたいと思っています。
戦後この地域に関するものとしては、考古学方面の成果は別として、古代史、中世史の研究は六十年前の「上高井郡誌」から殆んど進んでおりません。近世史、近代史は資料の発掘とあいまって研究も発展しつつありますが、未発掘の文献資料や貴重な伝承の破片はいたる所に眠っています。
郷土史の研究はすべて今後にあると言ってもよい様に思われます。
ここに同学同好の大方のみなさんのご賛同をえて郷土史研究会を設立し、共に手を携えて勉強して参りたいと思う次第です。
昭和四十九年四月
発起人一同
発起人(アイウエオ順)
青木功 青木源之助 青木長治 大峡輝雄 片山正行 神林寿美雄 北村正一 北村米太郎 小林栄 小林富雄
近藤幾治 近藤堯 坂田嘉助 坂田宗吉 佐藤松太郎 篠塚久吾 関野安永 竹前儀才治 竹前熊之輔 玉井邦夫
塚田政之助 伝田清司 中沢一郎 中沢勝 中島輝夫 中村介夫 成山観隆 西沢隼人 藤沢晋一 堀内源監
本藤義松 前山嘉訊 丸山忠三郎 南沢茂朋 宮川孝男 宮沢真澄 村石一夫 村石高治 目黒淳茂 山岸加一郎
綿内四郎
(以上四十一名)
設立の趣旨(創刊の辞)
郷土史とか地方史が花盛りである。この北信の地域にもすでに幾つかの会誌が発行されていて、ことに賑やかである。そうした中で敢えてまた吾々がこ々に郷土史研究会をつくり、会誌を出そうとする意図について一言申してみたい。
歴史といえば過去において、中央中心の、また文献中心の時代があった。そして文献といえば、多くは支配サイドの記録が大部分である。民衆の息吹きがぢかに伝わるような、地方に根ざした歴史はかつて余り書かれなかった。これに対する反動から柳田民俗学が興り、また半世紀前全国的に郡誌運動が盛り上った。県下でも大正の初年にあたって、郡誌編纂がいっせいに花咲いた時代があった。
然しながら教育会を中心にして盛上った郷土史運動も、今日から見れば多く中央史学の焼直しであるか、または上からの知識の押付けにすぎなかった。したがって郡誌が一冊出来上って、指導者が去れば運動はそれで中絶して、また何十年間の冬眠期をすごさなければならなかった。
戦後復活した郷土史運動も、よく考えて見れば、各地の少数篤学の研究者があって、自己の専門とする所を発表し、大多数の会員がそれを読ませてもらって、いくばくかの知識を殖やすという仕組みにすぎない。郷土の民衆が自ら積極的にこれに参加し、語り読みそして自らペンを執って書いて、学習グループに結集し、埋もれた郷土の歴史を発掘するような事は望むべくもなかった。
文献も既成史学も貴重である。然し郷土以外には生きられない吾々は、文献の裏に隠された、生活と密着した郷土の歴史を、たとえ道は遠く足取りは遅くとも、自らの手で発掘しようではないか。そこにこそ自ら創造に参加する者のよろこびと郷土愛とが生れるはずである。
幸いにして吾々の会は各地域に相当数の会員がまとまって存在する。在地に根ざした貴重な伝承の保持者も多い。地下水のような潜在水流を一所に噴出させる事もけっして不可能ではないだろう。
読ませてもらう郷土史、与えられる郷土史から転じて、自ら参加し自ら創造する郷土史を吾々の理想の目標としたいものである。
「須高」創刊号から引用