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設立の趣旨(創刊の辞)

 

 郷土史とか地方史が花盛りである。この北信の地域にもすでに幾つかの会誌が発行されていて、ことに賑やかである。そうした中で敢えてまた吾々がこ々に郷土史研究会をつくり、会誌を出そうとする意図について一言申してみたい。

 歴史といえば過去において、中央中心の、また文献中心の時代があった。そして文献といえば、多くは支配サイドの記録が大部分である。民衆の息吹きがぢかに伝わるような、地方に根ざした歴史はかつて余り書かれなかった。これに対する反動から柳田民俗学が興り、また半世紀前全国的に郡誌運動が盛り上った。県下でも大正の初年にあたって、郡誌編纂がいっせいに花咲いた時代があった。

 然しながら教育会を中心にして盛上った郷土史運動も、今日から見れば多く中央史学の焼直しであるか、または上からの知識の押付けにすぎなかった。したがって郡誌が一冊出来上って、指導者が去れば運動はそれで中絶して、また何十年間の冬眠期をすごさなければならなかった。

 戦後復活した郷土史運動も、よく考えて見れば、各地の少数篤学の研究者があって、自己の専門とする所を発表し、大多数の会員がそれを読ませてもらって、いくばくかの知識を殖やすという仕組みにすぎない。郷土の民衆が自ら積極的にこれに参加し、語り読みそして自らペンを執って書いて、学習グループに結集し、埋もれた郷土の歴史を発掘するような事は望むべくもなかった。

 文献も既成史学も貴重である。然し郷土以外には生きられない吾々は、文献の裏に隠された、生活と密着した郷土の歴史を、たとえ道は遠く足取りは遅くとも、自らの手で発掘しようではないか。そこにこそ自ら創造に参加する者のよろこびと郷土愛とが生れるはずである。

 幸いにして吾々の会は各地域に相当数の会員がまとまって存在する。在地に根ざした貴重な伝承の保持者も多い。地下水のような潜在水流を一所に噴出させる事もけっして不可能ではないだろう。

 読ませてもらう郷土史、与えられる郷土史から転じて、自ら参加し自ら創造する郷土史を吾々の理想の目標としたいものである。

                                       「須高」創刊号から引用 

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