「須高」 第100号 令和7年4月20日発行
目次
口絵 高山村黒部の「天照大神社」 ……………………………… 写真・解説 編集部
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「須高」第100号に寄せる ……………………………………………………… 片山 久志
《第100号記念寄稿》
・ 近代日本洋画の先駆者 川上冬崖 ………………………………………… 丸山 剛
・ 小布施に疎開した童謡作家 「林柳波」
・ 「林柳波・きむ子」の小布施滞在と
その後の我家とのつながり ……………………………… 小林 桃子
・ 疎開先小布施での林柳波とその後 …………………………………… 関谷 直美
・栗田神社境内の「五榜の掲示」 …………………………………………… 竹前 眞人
・須坂水の会の記録 1994~ ………………………………………………… 小林 紀雄
・十和田湖のヒメマス養殖と観光開発
…………… 和井内 貞光・和井内 貞明・片山 陽夫
《古文書を読む》 ⑬「乍恐以書付奉願上候」 ………………………………… 関谷 公
《資料紹介》 米軍機投下「爆撃予告ビラ」 ………………………………… 目黒 照久
《昭和の記録・私の思い出》(補遺)》
・ 無声映画騒動記~須坂でも無声映画が上映された ……………………… 川浦 祐二
・ 終戦前後の小学生 ………………………………………………………… 岡村 榮
研修旅行 青木村を訪ねて …………………………………………………… 塚田 茂博
「須高」総目次 創刊号~第100号 …………………………………………… 編集部
須高郷土史研究会ホームページの活用法 ……………………………………… 村石 春信
☆編集後記
〇「須高」第100号に寄せる(片山 久志)
3号雑誌が多い中、50年途切れず年2回発行、通算100号は稀有。その変遷をたどり、郷土史を考える。
〇近代日本洋画の先駆者 川上冬崖(丸山 剛)
洋画先駆者川上冬崖(旧姓山岸、旧福島新田村=現長野市北長池出身)の生涯、年譜、業績、悲運の最期を記す。
〇「林柳波・きむ子」の小布施滞在とその後~(小林 桃子)
小布施村初代公民館長になった童謡作家「林柳波」にまつわる筆者(柳波孫)ならではの貴重な記録。
〇疎開先小布施での林柳波とその後(関谷 直美)
筆者父は疎開中の柳波と昵懇。その縁で筆者は柳波子孫と今も親しく交流、沼田市「柳波祭」に招待出席。
〇栗田神社境内の「五榜の掲示」(竹前 眞人)
開国後相次ぐ外国人殺傷とその事後処理に悩まされた政府は、外国人に対する加害禁止などを布告した。
〇須坂水の会の記録(小林 紀雄)
「須坂の21世紀を考える会」から生まれた「須坂水の会(会長筆者)。国内外に及ぶ同会の多様な活動記録。
〇十和田湖のヒメマス~(和井内 貞光・貞明/片山 陽夫)
魚の棲まない十和田湖でのヒメマスの養殖と湖辺の観光開発に生涯を捧げた和井内家の挫折と栄光の記録。
〇古文書を読む ⑬「乍恐以書付奉願上候」(関谷 公)
近年、古文書を読むAIがあるが、その文書の意図、真意を読み解くのはまだまだ人間の領分である。
〇資料紹介 米軍機投下「爆撃予告ビラ」(目黒 照久)
終戦直前、長野を含む12都市に米軍機が撒いた爆撃予告・避難勧告ビラ。80年保管され、日の目を見た。
〇無声映画騒動記~須坂でも無声映画が~(川浦 祐二)
終戦直後、「活動」(弁士楽団付無声映画)が須坂でも上映された。当時の館主(町田)を知る筆者の得難い見聞。
〇終戦前後の小学生(岡村 榮)
終戦時、筆者は道理が分かる13歳、本年93歳。終戦前後の氏の体験・見聞は貴重。続けて寄稿願う。
〇研修旅行 青木村を訪ねて(塚田 茂博)
郷土の偉人・遺物・産業・生活用具などを整然と展示・顕彰・保存している「義民の里」青木村探訪記。
〇「須高」総目次 創刊号~第100号(編集部)
創刊号~100号の全寄稿者・タイトルを一挙掲載。保存版。次の活用法と合わせて利活用を。
〇「須高」ホームページの活用法(村石 春信)
簡単な操作で創刊号から100号までの「須高」目次・タイトル・著者を検索できる。利活用を。
〇口絵 高山村黒部の「天照大神社」(編集部)
内宮を模した拝殿・祝詞殿・本殿に、鰹木・千木・玉垣を配した社殿は小ぶりだが神社建築の臨地研修に適。